【ユニマガ vol.5】『体育会人材の価値』

ユニマガ初登場、東大ア式蹴球部学生GMの俣野です。

と言ってもつい先日引退してしまいましたが。

時折、四年間の経験に基づいた思考を記述させていただければと思います。

運動会やスポーツに携わる皆様の思考のきっかけになれば幸いです。

また、コメント等でオープンな議論もしたいです。

そんなわけで、本稿のテーマは体育会人材の価値。

きっと体育会に所属する皆さんも常に考えることと思います。

比較的コントラストが強くてわかりやすい東大運動会(※東大では体育会のことを運動会と言います。)の例からご紹介しますね。


「東京大学の運動会って何を評価していいかわからないんだよね」

この発言によって自分の運動会生活は大きく変わりました。

この話題は東大だけでなく、私学にも、スポーツ強豪校にも、地方大学にも共通します。

「体育会人材(自分)の価値」って何だろう。

一年生の時、主務の先輩について人材サービス企業の方と話をした際、上のようなことを言われました。とても驚いたので、はっきりと覚えています。

運動会とその評価に対する疑いの目を持ち始めたのはこの時からでした。

東大に入学してスポーツをやれば、人材としてある種「最強」である。

自分の保証書として、「勉強が出来るで賞」と「まっすぐ打ち込めるで賞」を手に入れれば前途洋々。

単純な入部動機でしたが、高校まで10年以上続けたサッカーを継続するには十分な理由でした。

はたして前述の言葉は、そんな私の極甘な考えを粉々に砕きました。

曰く

「勉強ができるで賞」は、

体育会に所属している=時間的な拘束があって勉強しない

という理由ではく奪。

「まっすぐ打ち込めるで賞」

には一言

「でも弱いじゃん」。

強弱の何が関係するというのでしょうか。

百歩譲って強豪チームには人数の多さや指導者の存在を理由とした明確な規律が存在し、

「ルールを守ったで賞」はあるにしても、弱いからそんなに打ち込めていないという理論は全くの嘘です(そもそも「まっすぐ打ち込む」とは何でしょうか)。

しかし、強いコネでもなければ、競技力の弱い大学の運動会が評価されにくいのも事実です。

二分の一も時間を費やさない様々な資格が明確に評価されるのにも関わらず。

私は理解しました。

「運動会に所属した」だけで生まれる価値など何もないと。

それどころか、

「部活しかやっていない人」

という認識すら持たれてしまいます。

東京都大学サッカー連盟という学連にも所属していましたが、

幹事をしている学生の理由の多くは

「就活で語れる活動が欲しいから」

プレーをする時間を削って幹事をしなければ、部活単体では評価されないのです。

(少なくとも彼らはそう思っています。)

確かに、肩書で何かをクリアできる時代は終わったように感じます。

終身雇用をメインとする大企業の安定に「?」が付き、一度の就活、ESやコネが人生を決める時代が終わろうとしています。

加えてAIの発達で、(誤解を恐れずに言えば)「まじめだけが取り柄な人」はもういりません。

今後のキャリアで役に立つのはきっと肩書ではなく実力です。

資格だって、ただの肩書ではありません。

何かを極めた実力を認められてつけられた証拠として評価されているのです。

では運動会卒は何を身につけた証拠なのか。

運動会で備わる実力とは何でしょうか。

僕はその答えを探して、二年の時、学生GMになりました。

100人弱いる部員を統括し、部活動に自分の意思を反映し、

様々な「社会人」とやり取りすることが、選手一本でやるよりも、間違いなく実力になると思ったからです。(ただ、根底にあるのは「何とか役に立ちたい」という思いだったと今になって感じます。)

そのうち運営で手いっぱいになってきた私は、選手をやめ、運営代表としてチームに所属しました。

ただ、運営の立場に立ってしばらくすると、

選手一本でサッカーを追及する、つまり「まっすぐ打ち込む」ことは十分価値があると考えるようになりました。

下級生の時にはがむしゃらにサッカーをやっていた仲間は、

三年、四年と活動をする中で、自分のプレースタイルや役割を見つけ、

チーム全体を俯瞰したうえで、それぞれの「スペシャリスト」

としてアイデンティティを確立していきました。

同じ組織に所属するうえで、

4という数字は絶妙です。

訳も分からない1年生

自分のことを見つめられるようになる2年生

チーム全体が見えだす3年生

そのうえで自分に落とし込む4年生

このプロセスこそ、体育会の価値なのかもしれません。

組織に属し、俯瞰して見て、主体性をもって実行する。

「まっすぐ打ち込む」は誤解されていると思います。(採用側にも、本人にも。)

ただまじめなだけではありません。

深い自己理解の形成と俯瞰力の獲得、それに下支えされた実行力が、一つのパッケージになっているのです。

どんな組織に所属しても必要とされるこの資質が、

体育会学生には身についているのではないでしょうか。

また、身につけなければいけないのではないでしょうか。

このプロセスに部の強弱は関係ありません。

ただ、部活内での自分の体験に沿ってこのストーリーを語れることは、

就活というシステムが存続していくなら、きっと必要な力でしょう。

体育会学生の価値

私が出した答えの一つは、

「経験に裏打ちされた、組織人としての実力パッケージ」

ちょっと抽象度が高くて申し訳ないです。

皆さんも是非、

体育会や、そこに所属する自分の価値って何なのかなって、

時々、考えてみてください。

できればぐっと具体的に。

(文章 東京大学4年 俣野泰佑)


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