【ユニマガ vol.2】応援学科の誕生はありうるか

スポーツビジネスに関わりたいと志す学生は多い。そしてその大半が、この業界は決して稼げる世界ではないことを既に知っている。にも関わらずなぜ多くの学生がスポーツビジネスをやりたいと言い続けるのか。それは学生にとって、それでもこの業界で働くことのやりがいと魅力を感じているからであるのは言うまでもない。

こうした状況が生むことは大体予想がつく。各プロクラブはインターン希望の学生をタダで雇い、学生もこの申し込みに殺到。タダでもインターン枠の奪い合いになる。それどころか学生が金を払うことも珍しくない。毎日のようにいたるところで開催されるスポーツビジネスのセミナーの参加費は何千、何万円にも上る。もはやクラブ経営よりセミナーを開いたほうが儲かりそうな勢いだ。

クラブがタダの労働力として学生を雇うこと自体は本質的な問題ではない。学生だって経験を積めるわけだし、両者winwinの関係であれば決して奴隷契約ではない。

問題なのは、これだけタダの労働力が市場に溢れていると、クラブは給料を払ってスタッフを雇う必要が無くなってしまうのである。つまり「職業」としての雇用が減るのだ。

スポーツビジネスを志す学生が増えれば増えるほど雇用が減る。とんでもない悪循環である。




そもそもスポーツビジネスというジャンル自体ざっくりしすぎている。選手獲得やらスポンサー獲得やら集客やら、分野を挙げたらキリがない。全てのジャンルでプロフェッショナルになるのは相当難しい。しかし困ったことにスポーツビジネスという一括りのもので捉えている人は、経営者レベルでも意外と多い。「5000円のファンクラブ会員を200人集めること」と「100万円のスポンサーを1つ獲得すること」は同じ意味だろうか。ビジネスという呼び方をしてしまったがゆえに、金額でしか判断されない典型的な例である。

そんなスポーツビジネスの中でも集客だけは異質なものであろう。選手獲得やスポンサー獲得は完全にクラブの役割である。しかし集客においてはクラブだけの努力ではどうすることもできないこともある。ここで必要なのが「サポーター」だ。観客ではなくサポーターである。

サポーターの定義の話をすると大変なことになるのだが、ここでは以下のように定義する。

試合を観に来る人は「観客」、自らがクラブに金を払う以外の行動をする観客は「サポーター」。もちろん応援もこの行動の一つである。応援とは声を出して応援することに限らない。駅前でビラ配りすることだって、SNSで勝利を願うのだって応援である。

サポーターの役割について少し考えてみたい。

サポーター側の立場から。サポーターは常に「クラブの力になるにはどうしたら良いか」を考えている。そしてその問いに対する答えは、各クラブごとに違うだろう(もちろん正しい答えは無いのだが)。例えばJリーグでいうと鹿島のサポーターは、チームに対し優勝しか求めない雰囲気作りをしている。鹿島が常勝軍団たる理由は、2位では許されない、優勝しか意味がないというクラブのアイディンティにある。だから鹿島のサポーターは優勝のみを求め、負ければ一部のサポーターは荒れ狂う。ごくたまにみられるサポーターの暴力行為の是非はさておき、それが常勝軍団の雰囲気作りの一端を担っていることは間違いない。

鹿島のようなクラブなら集客面においてサポーターの役割はほぼないかもしれない。しかし、そのようなクラブは珍しい。どのクラブも優勝なり昇格なりを狙っていくわけだが、そのための体制を築くためにまず観客を増やさなければならないクラブは山ほどある。Jリーグ参入要件に観客数の項目がある以上この問題は避けられないし、Jリーグのクラブでも入場料収入は永遠の課題である。クラブは当然集客への取り組みを行うが、それだけでやれることは限られてくる。この状況でサポーターは「クラブの力になるにはどうしたら良いか」を考えた時、サポーター自らも集客をしようとする流れが起きることもある。サポーターが集客をするといっても何か大きな企画を打つことではない。大きな集客企画をするのはクラブの役割だ。サポーターがやる集客とは、SNSで来場を呼びかけたり、駅前でビラを配ったりする地道な活動である。スタジアムが楽しい場所であることをアピールするためには、楽しんでいる張本人のサポーターが発信するのが一番効果的である。これはクラブがいくらやってもできない、サポーターだからこそできる役割だ。サポーターだって仲間が欲しいし、それでクラブが強くなるなら喜んでやる。

逆にクラブ側の立場から言えば集客を自発的にやってくれる存在は当然ありがたい。クラブができないことをしてくれるならなおさらのことである。

こうしたサポーターの努力は観客数などによって現れる。しかしこの成果をサポーターの価値として捉えてくれるとは限らないようだ。それゆえ先ほど述べたような「100万円の価値」を正しく受け止めてくれないケースが度々発生する。

どうしたらサポーターの価値が認識されるのだろうか。もっとも、サポーターは見返りを求めて行動を起こしているわけではない。この価値を認識した方がクラブにとってメリットがあるから認識して欲しいのだ。

スポーツビジネスを教える先生方には是非学問領域としてサポーターを、応援を捉えていただきたい。いやむしろスポーツビジネスの中に応援があるのではなく、応援の中にスポーツビジネスがあると言っても過言ではない。

応援論という哲学、集客という経営学、消費としての行動経済学、負け続けても応援するというある種の宗教学、そしてサポーターという人々の文化人類学。スポーツビジネスが学問として認識された今だからこそ、応援という領域の確立が求められる。

スポーツビジネスを志す学生の中でも、集客に関する課題解決は最も関心が高いジャンルの一つである。だからサポーターの価値について認識する必要がある。あえて言うが、実際スタッフよりもサポーターとして活動した方が集客の手応えが得られると思う。クラブの実績を上回る集客をしているサポーターも多い。現実として多くのクラブはそうしたサポーターを欲しているが、そのような人材はごくわずか。クラブに求められる人材としてはある意味スタッフより需要がある。

スポーツビジネスの学科や学校があるなら、学問領域、人材育成の両面から「応援学科」が誕生してもおかしくないと思っている。社会に求められていることは確かなのだから。

(文章 慶應義塾大学3年 市川嵩典)

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